確率は私の知識の度合い!

この間の裸まいりのときの、私が裸まいりを楽しむ確率をPとして、その値がどう変わって行ったかを考えてみましょう。

まず、家を出たのは8時40分で、外は曇っていたので、寒くないように、一枚余計に着て、ホカロンを付けて出発しました。寒いので、あまり乗り気ではなく、Pは0.3ぐらいだったでしょうか。

子吉川に出て、由利橋(きょう)を渡るころは少し寒かったのですが(P=0.2)、郷土資料館の前では、もう汗をかき始めました。少し行くと、第一の裸まいりの行列と出会い、すぐに写真を撮り始めました。このときは、少し夢中になり、Pは0.7ぐらいなっていました。

しかし、目標の神社の階段の下にたどり着くと、ここで水垢離を見るはずだったのに、その場所が違うことを聞かされ、Pはまた0.3に下がってしまいました。しかし、そこでおまわりさんと話しているうちにだんだん機嫌がよくなり、後から登ってくる行列の人たちと話したりしているうちに、Pは0.8になりました。

15分ほどそこで見物して、丁度通りかかった行列の子供にがんばれと声をかけながら、私も階段を登って上へ行ったところで、お餅をまき始め、私が取ろうともしないのに、私のジャンパーの中にお餅が飛び込んできたのです。正月からこんなに運がいいことは珍しいと、Pはほとんど1になってしまいました。

それから、下へ降りて、酒屋さんの蔵の市というのへ行って、もらったり、買ったりして、丁度会った、キッチン飛行船のS1さんの自動車へ乗せてもらってキッチンまで帰り、もらったものを一緒に食べ、手柄話をしているときにはPは1を越えていたようでした(冗談)。

確率というのは、このように状況によってどんどん変わっていくものなのです。

従って、私が裸まいりを楽しむ確率は1というのが正解だったのですが、それが分かるまで、各種状況によって、いろいろ変わったのでした。

神様だったら、始めから終わりまで、これを知っていたので、Pは1です。S1さんだったら、状況は分からなかったかもしれませんが、私の性格ややることをよく知っているので、ずっとPは0.9ぐらいと思っていたかもしれません。つまり、知らないのは私だけというようなことも可能なのです。

もう少し考えを進めると、もしかして、1月19日の9時30分から10時ごろまで私が楽しむというのは、自然現象として、決まっていたのかもしれません。私がいろいろな行動を取ったのも、私は自分の意思でやったと思ったのですが、そう思うこと自体が決まっていたのかもしれません。しかし、神様は知っていても、人間では分かる人がほとんどいないということになります。
ということは、予備知識のない人間一般にとっては、Pが0.5の場合が多くなるでしょう。楽しむか楽しまないかの2つの場合を考えて、どっちが多いとも言えないということです。しかし、このお祭りが冬の寒いときに行われるということを知っていれば、Pは0.2とかに下がるかもしれません。


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